【注目記事】30代でタイから日本の日本大学通信教育部(通称:日大通信)に進学した理由と入学まで

25歳でタイで起業し女社長になった理由

みなさん、こんにちは。

2001年、25歳の時にタイで起業した前田千文です。

「女社長の海外起業と経営術を語るブログ」に

ご訪問頂きありがとうございます。

 

このブログにたどり着いたというあなたは

外国や海外での起業、 もしくは海外に住んでみたい…など

どんな理由があるかはわかりませんが、

海外に興味がある方なのではないかと思います。

 

今日は25歳でタイで起業し女社長になった理由をみなさんにお伝えしたいと思います。

 

目次

タイに来たきっかけは日本語教師として

私は1998年5月にタイに来ました。

その時は、タイに興味はなく、そもそも東南アジアに興味がなかったです。

タイに来る前は、オーストラリアのパースにいました。

小さい頃から英語が好きで、英語圏の国(アメリカ、イギリス、オーストラリアなど)には興味がありましたが

アジア自体に興味がありませんでした。

 

1998年3月

1998年3月、実家で撮影した写真です。隣は妹です。タイに渡航する2か月前です。

 

 

もともとオーストラリアのパースでは日本語を教える仕事をしていたのですが

オーストラリアでの任期が迫ったある日

 

タイで空きがあるから行きませんか?

 

とお声を掛けていただき、それがなければ、タイに来ることはなかったと思います。

 

1997年、撮影。

1997年、オーストラリアのパースで日本語教師をしていた時です。左上はお世話になったジョン先生。左右は隣の高校に留学していた日本人の女の子です。

 

 

タイではバンコク郊外サムトプラカン県パークナームにある

公立高校に勤務していました。

 

2017年12月、高校へ訪問。

2017年12月、挨拶周りの途中で勤務していた高校を尋ねました。98年当時お世話になった先生を尋ねました。

 

 

今でこそ、バンコクのベッドタウンとしてBTSも通り便利になりましたが

1998年当時はバンコク市内からサムトプラカンまで1時間もかかりました。

バンコクのビル群を遠めに、穏やかな塩田風景と運河が流れる

田舎町という感じでした。

 

1998年という時代は、1997年にアジア通貨危機が発生し

どん底から上がっていくというエネルギーにあふれた時代だったと思います。

バンコクでも最大規模のエンポリアムデパートが開業したのも1998年です。

モノレール(BTS)が開業したのは1999年12月です。

急速に都市化が進むバンコクを見ていました。

 

当時の生活は一般的なタイの生活で、どっぷりとタイ文化に使っていました。

日本人が全くいない学校、地域でしたので

郷に入っては郷に従え…で、この時期にタイ語とタイ文化の多くを習得したと感じます。

シャワーはないので、樽に溜めた水で水浴び…。

洗濯機は高級品でないので、洗濯板で。

網戸のない部屋(のちに蚊帳を買います)、コンクリート打ちっぱなしの床、

エアコンなんて当然ありません…。

また、この時期にデング熱に2度罹り死にかけたことがあるのも良い思い出です…。

 

日本語教師の任期は1年ですので1999年5月以降はフリーになります。

日本に帰国しようと思っていました。

そんな時に、後の起業につながる出会いがありました…

 

日本語教師を辞めてOL生活が始まる。

 

帰国前の1999年7月、たまたま友人が働いていたバンコク市内の人材紹介会社を訪ねていきます。

受付で友人を待っていると、なぜかオーナー社長が出てきて応接室に通されます。

 

そうしたところ、そのオーナーにこのように言われました。

 

へぇ~ 日本語教師かぁ~。給料 安いだろ?
実は、僕はもう1社、人材紹介会社を作ろうと思ってるんだ。
君、そこの責任者やってみない?

 

この時に、とっさに

 

私(前田千文)
ハイ!

 

と即答し、あっという間にこの会社に就職してしまいます。

 

このオーナーは当時こんなことを言っていました。

 

女は、どういう人生になるか判らない。
自分でどうしようもできない事もある。
男で人生が変わるコも多いよ。
このままウチで働くかもしれないし、結婚してタイを去るかもしれない。
まずは、石の上にも3年だから3年を目処に頑張って!

 

無事に就職をし、毎日が充実していました。

先輩や同僚、オーナーとの関係も良好で、特にオーナーには可愛がって頂いたと思っています。

起業したいという思いが勝って…

ただ…充実した中でだんだんと

 

起業したい

という思いが強くなっていきました。

 

起業することが目的ではなく、

 

自分で自由にやってみたい

自分の意思を会社に反映させたい

同じ苦労をするなら会社員ではなく、経営者として苦労したい

 

こんな思いでした。

 

正直、お金のことや先にあるであろうリスクは全く考えていませんでした。

 

会社でお勤めしていた時は、何かやりたいことがあってオーナーに打診しても

 

おまえにはまだ早い…。
若いからな…。
それをやったらタイ人スタッフに舐められるぞ…。

 

このように言われ、反対されることが多かったです。

 

こういったやり取りが何か月か続きました。

悶々とした中で、自分でやってみたい気持ちのほうが勝ってしまい

ある日オーナーに

 

私(前田千文)
会社を辞めて起業したいんです

 

と直談判に行きます。

 

何バカな事を言ってんだ?
おまえはまだ若い、わからんだろうな~

 

門前払いでした。

 

その後、2度目…。

再度、会社を辞めて起業したいとオーナーに伝えます。

当然ながらと言いますか、やっぱり門前払い…

 

3度目…。

年末だったと思います。

その日は、2000年12月29日…。

この年最後の稼働日で会社の年末パーティーだったと記憶しています。

 

そこで、また

 

私(前田千文)
会社を辞めて起業したいんです

 

と伝えたところ

おまえは俺に後ろ足で砂を掛けるようなことをするのか!
スタッフを置いて、逃げるのか!
薄情ものめ!
もういい!
おまえはクビ!
二度と、そのツラを見せるな!

 

会社をクビになりました…

 

レストランを出て、家に帰る道中、号泣でした。

(はたから見たら相当やばい人です)

 

私が起業するということは、オーナーに対する裏切りでもありますし

一緒に頑張ってきた同僚、仕事を教えてもらった先輩への裏切りでもあります。

 

オーナーから可愛がってもらったこと、一緒に働いてくれた同僚や先輩への愛着よりも



自分でやりたいようにできる

 

その気持ちのほうが大きかったのを覚えています。

 

2000年11月。

2000年11月。25歳の誕生日の時の写真です。当時働いていたオフィスでの写真です。この3か月後に起業します。

 

 

これからの生活がどうなるのだろうという不安…。

 

会社を首になってしまったのでビザがなくなりますから

タイに居続けることができなくなってしまう…。

 

そういったことよりも気持ちが勝ってしまい

オーナーから激しく怒りをぶつけられたことで

私の中で吹っ切れました。

 

起業するという不安よりも明るい未来のことしか考えていなかったです。

失敗したらどうしようとか、全く考えていなかったです。

 

なぜタイで起業したか? 

たまたまチャンスがあったのが、ここ、タイだった…。

ただ、それだけです。

 

もし、日本で同じようなチャンスがあったら、日本で起業したかもしれません。

起業を目指す方のご参考になれば幸いです。

映像で見る:25歳でタイで起業し女社長になった理由

 

 

 

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