【注目記事】在タイ日系企業が導入すべき勤怠管理システム(2024年度版)

25歳でタイで起業した女社長の私が経験したトラブル

みなさん、こんにちは。

2001年、25歳の時にタイで起業した前田千文です。

「女社長の海外起業と経営術を語るブログ」に

ご訪問頂きありがとうございます。

このブログにたどり着いたというあなたは

外国や海外での起業、 もしくは海外に住んでみたい…など

どんな理由があるかはわかりませんが、

海外に興味がある方なのではないかと思います。

今日は、25歳で起業した私が、

実際に経験したトラブルについてお伝えしたい思います。

社員との食事中の写真です。
時々、スタッフと昼食をともにします。みんなでワイワイ食べる姿はタイっぽい光景だと思います。
目次

タイでの起業実践:私が直面したビジネス課題

共同経営の落とし穴:私の失敗体験と学び

過去の記事で私は2001年2月に会社を設立したことをお話ししましたが

その前まではOLとして働いていました。

働いているときは、5年以内に起業したいな~…

そんなことを考えていました。

会社を立ち上げる4ヶ月ほど前に、

「私が起業したい」と考えていることを知っている人から

同じように起業を考えている人がいる…とAさんとTさんを紹介され、

あれよ、あれよ…と

合同で会社を立ち上げることになりました。

もともと私はリクルート関係の仕事をしていて

Aさんは翻訳、Tさんはプログラマーをしていました。

3人で話し合い、リクルートと翻訳を組み合わせた会社にしようとスタートしました。

Aさんは、私よりも年上だったこともあり、

Aさんを社長にし私はDirector(副社長)として始めました。

Tさんは、あまり責任を負いたくないということで

役職はこだわらないと話をしていました。

このTさんですが…

創業から7か月後の2001年9月にくも膜下出血で亡くなってしまいます。

そして2001年9月以降、Aさんと2人で会社を経営することになりました。

創業から3年後の2004年、Aさんからこう告げられます。

会社を分割したい。

前田さんはリクルート、

私は翻訳事業を持って別会社を設立したい。

Aさんは社長でしたが、出資比率が私よりも低かったこともあり

それが分割を考えるきっかけになったのかもしれません。

(出資比率が低い=リスクを嫌った…と考えています)

Aさん本人から直接聞いたことではないので、真相はわかりません。

Aさんは翻訳事業の人材、顧客を分割させる代わりに

Aさんが保持している株式を私に譲渡する…

という話しでした。

会計事務所に、売上、利益、将来性を分析してもらったところ

翻訳事業部にかなりの資産価値があることがわかりました。

実際に翻訳事業部はその後当社のメインビジネスに育ち、

リクルート事業は閉鎖し通訳者派遣だけが残りました。

株式譲渡+現金…となった時にAさんから

それは無理です…となり、

結局、私がこの会社を経営することになりました。

もしあの時…会社分割の話しがなければ、

今も2人で経営していたのかもしれません。

ただ人生に「もし~だったら」は基本、ないと思っています。

1日1日、瞬間、瞬間が勝負なのです。

自分が今日現在において

この会社で仕事をさせてもらっているのを考えると不思議な感じになる時があります。

私はAさんと一緒に仕事をしているときに、

Aさんがどんなことを考えているのか…

Aさんがどんな将来を描いているのか…

心境の微妙な変化に全く気がつきませんでした。

確かに会社の方向性に関して、議論を交わす事はありましたが、

より良い会社を作るために必要なことだと思っていました。

考え方の違いを、相乗効果として発揮できず、良い方向に融合できなかった結果、

「会社の分割」になったのだと思います。

この経験から、共同経営は難しい…と思うようになりました。

また起業を考える方から相談をされた際には

共同経営ではなく、まずは一人で始めることをお勧めしています。

船に船頭は一人しかいらない…

この言葉を聞いたことがある方がいるかもしれません。

それは起業、そしてその後の会社経営においても同じことが言えるとつくづく感じます。

おやつタイム
会議終了後のデザートタイムです。

タイ人パートナーとの衝突:株主訴訟の背後にある問題点

冒頭でタイは外資規制があるという話をしましたが

私も外資規制でトラブルに巻き込まれた一人です。

タイ人に訴えられたことがあります。

私が訴えたのではなく、訴えられたんです。

そう、俗にいう被告です。

2005年くらいだったと思います。

操業して4年たったころです。

その日は、社員旅行があって、日曜日の夕方にオフィスに戻って来たところ

入り口に“巻物のような分厚い封筒”が挟まっていました。

中味を確認せずに、そのまま総務の机にポーン。

そのまま帰りました。

タンブン
会社でお寺にお参りしている様子です。タイ人は仏教徒です。会社のイベントとしてお寺に行くことも多いです。

次の日社員が、、、

スタッフ
社長、オラタイさんに訴えられました。
私(前田千文)
誰だったかな??オラタイって???

なかなか思い出せず、社員に

スタッフ
昔の株主ですよ、社長

と言われるまで記憶の彼方でした、、、。

思い出しました…さかのぼること2年前…。

2003年…。

オフィスにやって来て号泣した人…。

彼女は2001年9月に亡くなったビジネスパートナーTさんの奥さん。

遺産相続で当社の株式を相続しました。

当社はもともと日本人3名で始めた会社だったのですが、

そのうちの1名Tさんが、

創業から7か月後の2001年9月に亡くなって

遺産相続で当社の株を奥様(タイ人)が相続していたのを思い出しました。

その亡くなったT氏の奥様のオラタイさんが当社にやって来て

生活に困窮しているので
株式を手放したい。
なんとかしてほしい。

そういって、会議室で号泣してました…。

私の会社は外国人事業法に掛かる会社で

タイ国籍者51%、外国籍49%の規制に掛かります。

当時、私は49%を保持していたので、これ以上は株式を保持することが出来ません。

オラタイさんにそれを伝え、

私(前田千文)
タイ国籍者に株を譲渡してください

と伝えたところ、さらに号泣します。

どうしても1週間以内にまとまった現金が必要なんです!

親族や友人に株を買える人がいないので

何とかして欲しい

その姿があまりに可哀相だったので、

私(前田千文)
なんとかします

と言って、その日はお帰りいただきました。

タイ人の友人2名に事情を話し、株主として名義を借りました。

(名義を借りることは法律違反です。ただ、外国人はこの方法で起業します。)

オラタイさんに株の分のお金を払い、株主変更の登記作業を終えたのでした…。

そんなことを思い出しました。

銀行通帳
会社で使用する銀行通帳です。年間20冊は超えます。

訴えられた内容は…

タイ政府に対する偽証罪で刑事告発

要は、本当の株主ではないのに、

タイ人の名義を使っていることが「公文書の偽造にあたる」と告発されたのです。

刑事告発され有罪となると、

会社のサイン権を失い、会社の代表取締役でいることが出来なくなります。

日本人の常識では、考えられないことですが、タイでは刑事事件でも示談があります。

本裁判の前に、原告(オラタイ)と被告(私)の間で、話し合いがあるのですが

タイ政府に対する偽証罪なのに、相手はオラタイさんというのが不思議です。

会議
毎月1回行われる月例会議の様子です。

間に調停官が入りますが、私に個室でこう言います。

原告の目的はお金なので

訴えられたのは運が悪いとしか言いようがないです。

金額の折り合いをどこでつけるのかの話し合いになります。

恵まれない人にお金を払って

自由を手に入れたと思えばよいです。

タイ政府に対する偽証罪はどこへやら…

3回の調停は全て、金額の話し合いでした。

結局、オラタイさんには、30万バーツ支払うことで折り合いがつきました。

しかも3年の分割払いで…。

その後、オラタイさんによりタイ政府に対する偽証罪…というのは勘違いでした

と取り下げの手続きを行います。

示談の際に、

今後、どんな案件でもお互い訴訟をしない

と署名します。

3年の分割払いは小切手なのですが、昔のことなので言えますが

小切手にサインする際に、裏に鉛筆で

死ね

って書いてました。(私のブラックな一面です)

この時に思ったのは

私(前田千文)

海外では、お金のない人に関わってはいけない

私(前田千文)

ビジネスに慈悲の心は必要ない

でした…。

今回は、共同経営の難しさとタイ人から訴えられた話を書きましたが

これらは全て、私自身の経験不足によるところが大きいです。

未熟がゆえに、こういう結果となったと感じています。

これから起業される方のご参考になれば幸いです。

映像で見る:25歳でタイで起業した女社長の私が経験したトラブル

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